トゥルーマン・ショー(06.01)

映画・ドラマ感想

6月になりました。ぼくは5月14日から毎日映画を1本ずつ見ています。だから、6月も毎日映画を見たいです。

今日は『トゥルーマン・ショー』を見ました。ネットフリックスで見ました。

ぼくがこの映画を見ようと思ったのは、「リアリティ・ショー」というしゅるいのテレビ番組に出えんしていた人が亡くなってしまったというかなしいニュースを見たことがきっかけでした。

その人は、ひぼうちゅうしょうに悩んでいたそうです。テレビのニュースでも、ひぼうちゅうしょうがたくさんひはんされていました。ぼくもひぼうちゅうしょうはぜったいにダメだと思います。

でもその亡くなるきっかけとなったテレビ番組には何もせきにんはないのかな?とぎもんに思いました。

もしテレビ番組にせきにんがあるとしたら、どんなせきにんがあるのだろう?もう今後はリアリティ・ショーなんてどこのテレビ局も作らない方がいいのかな?もし作るとしたらどこに気をつけたらいいんだろう?といろいろ考えました。

そんなことを考えてインターネットを見ていると、この『トゥルーマン・ショー』の映画の名前を出している人がたくさんいました。

それでこの映画のことを思い出しました。ぼくは何年か前にこの映画を見たことがあります。そのときには「すごく面白い映画だなあ!」と思いました。

でも見たときから何年もたっているからわすれている部分もたくさんあります。こんなきかいなので、もう1度みてみようと思い、この映画を見ることにしました。

この映画は1998年のアメリカの映画です。20年以上もむかしの映画だなんて信じられません。

かんとくはピーター・ウィアーさん、きゃくほんはアンドリュー・ニコルさん、主えんはジム・キャリーさんです。ジム・キャリーさんはおもしろいのでとても好きです。

ジム・キャリーさんえんじるトゥルーマンさんはいっけんするとふつうの会社員さんです。奥さんもいて、ふつうの毎日を送っています。でも、じつはそのふつうの生活は生放送で24時間365日全国に放送されているのです!奥さんも友達も歩いている人も全員役者の人です。トゥルーマンさんの住んでいるところは巨大なセットなのです。トゥルーマンさんはそのことを知らないのですが、あるときそのことに気がついて、その作りものの町からだっしゅつしようとします。

自分の知らないところで自分の生活がたくさんの人に見られているとそうぞうすると、とてもこわかったです。

そしてこのトゥルーマン・ショーを制作しているテレビ番組のプロデューサーのような人もすごく怖かったです。トゥルーマンさんを人間としてではなく、テレビ番組をもりあげるための道具としか思っていないように感じました。こういう人はげんじつのテレビ番組の作成をする人の中にもたくさんいるのかもしれません。

そしてトゥルーマンさんが脱出する最後のシーンはとてもかんどうてきで、心がふるえました。

とてもすてきな映画で、だいすきな映画です。

ところで、リアリティ・ショーとトゥルーマンショーの大きくちがうところは、出えんしている人がテレビにうつっていることを知っているかどうかにあります。

トゥルーマンさんはテレビでほうそうされていることを知らないので、ぼくは「トゥルーマンさんかわいそうだなあ!!!」ととてもどうじょうてきに思います。でも、リアリティ・ショーに出ている人は自分が出えんしたくて出ているんだからひはんはしかたないんじゃないの!?と思ってしまうところもあります。

でもリアリティ・ショーはほうそうされている部分はへんしゅうされているし、えんしゅつもあるだろうし、自分の意図したものとは全くべつなすがたにうつされていることもたくさんあるのだろうと思います。そうなると、ある意味放送されていることを知らないトゥルーマンさんと同じだと思います。

でも、へんしゅうやえんしゅつは悪いことだとは思いません。むしろひつようだと思います。そのままたれながしてもおもしろくないことも多いと思います。番組をおもしろくするためにはえんしゅつはひつようです。

だからもしリアリティ・ショーを作るなら、「あなたはこういう風にうつるよ。だからしちょうしゃの人からはこういうひはんがあるかもしれないよ。」と出えんしゃの人としっかりとなっとくしあうことだと思います。

そしてそれだけではダメだと思います。ひはんをかくごしていてもじっさいに言われるとこころはどんどんこわれていってしまいます。だから出えんしゃの人のこころのケアをしっかり行うことが大切だと思います。そしてすごくきずつきやすいような人は、それが売れる大きなチャンスだったとしても、じむしょの人が出えんさせないようにするべきだと思います。

もちろん「しね」などのひぼうちゅうしょうを本人に送る人はほうりつでとりしまるべきだと思います。でも、それにはげんかいがあるし、さいていげんのとりしまりにするべきです。

なぜなら、かりに明らかなひぼうちゅうしょうをとりしまっても、傷つくことなんてたくさんあるからです。たとえば「〇〇のこういう性格がきらいだ。」と自分のページに書いたとします。これはひぼうちゅうしょうではなく、番組のかんそうだと思います。これをとりしまるとマイナスなことはなにも書けなくなるからです。でもこの言葉を本人がけんさくして見つけたら、きずつくことはあると思います。さらに「きらいだ」というマイナスな言葉でなくてもきずつくことはあります。

もしぼくがリアリティ・ショーに出たときに、「げろだるまの顔ってしょうじきアレだよね、アレ(ばくしょう)」というかきこみを見たとします。「アレ」なんて何を指しているのかわかりません。もちろんとりしまるべき言葉でもありません。だって「アレ」は「イケメン」かもしれないし「美しい」かもしれないからです。でもぼくはこれを見たら絶対に「きもちわるい」とか「ぶさいくだ」とか言われてるんだろうなあと思って、おちこむと思います。

いちばんてっとりばやいのは、リアリティ・ショーを無くすことです。でもそれはあまりいい方法とは思いません。

ぼくはリアリティ・ショーがすきです。ぼくだけじゃなくて、この映画にもあったように、たくさんの人がこういう番組をもとめてしまうのだと思います。

フィクション映画はワクワクするしすごくおもしろいけど、ずっとフィクションだとつかれます。リアルなげんじつに生きている以上、ぼくたちはテレビ番組にもリアリティをもとめてしまいます。

なんでも無くすことやとりしまりをすることだけを考えるのではなく、いっしょに生きていくことを考えたいと思います。

ぼくがかなしいニュースをみたことと、このタイミングで『トゥルーマン・ショー』をみたことには意味があると思います。

これからも楽しくテレビや映画をみたいです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました